先日、私用で名古屋へ行きました。
1977年3月いよいよ松阪へ帰ることになり多くの仲間も全国各地に旅立ちました。
本当に悲しく寂しい瞬間でした。
その時の合言葉がいつに日にか「 萬珍軒で逢いましょう 」でした。
あれから45年近くの歳月が流れました。
あの時の記憶は昨日のことのようです。名古屋での4年間は忘れることができません
人生戻れる瞬間があるのなら、この時代です。
その萬珍軒に少ない人数で集まったのは3回だけです。
まだ、みんなで集まってないです おいおい、あの合言葉は何だったんだ
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その萬珍軒は、今も存在しています。ワッハッハ 写真でご覧のように、あのまんまです
さらに年季を重ね、未だ昭和が生きている感じです。入り口は何も変わっていない…なんも
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店内の我々のたまり場も変わっていない 大好きだった天津飯も変わっていないね
ここで、ほとんど毎日集まってワイワイガヤガヤ。そりゃ賑やかだった 15の時からビールで宴会ね
学校の先生も参加でね。エッ… 先生が… そう、良き時代だったよ。
萬珍軒は、山下裕克先輩と小山孝先輩に連れられて通ったお店です。
それで僕の親友の吉永雄二と鈴木啓三と庄司吉昭を誘ったのね。
スグに我々のたまり場になり野球部のたまり場にもなりました。
試合があるごとに監督を入れて大宴会ね。ワッハッハ これ凄くないですか︖
宮島先生、楽しかった ありがとうございます。最高に良い先生でした お元気でしょうね
だから萬珍軒は忘れることができないね こんなお店が存続していることに感謝感謝です
大将は亡くなりましたが、息子さんと春夫さんは現役です。お母さんもお元気です
良かった︕嬉しかったです
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僕のホームグランドは、西区浄心あたりで写真の天神山は隣町。
学校から名古屋駅の方角を見ると大きいビル群が見えるね。
当時は、こんなデカイ建物はなかったし、名古屋高速もなかった
風景が大きく変わりました。ここは、僕の聖地なんです。
悩んだり落ち込んだりするとこの場所へやって来てブラブラ歩くんです。
そうすると昔が蘇ってくるね
若い頃、こんな大人になるんだとか夢を持って生きていた頃を思い出すんです
初心と高い志がムクムクと蘇ってくるのね
それで父と走った庄内川沿いの堤防道を名古屋西のインターまで 東名阪に乗り帰って来ます
今回もいろんな想い出が蘇ってきました
元気が少し戻りました。みなさんは、心の聖地なるところがありますか︖
しかし、押切から天神山、浄心へ歩いて行くと エッ… と思いました。
あの頃あったお店はなくなってる なんと、ほとんどがなくなってる…
これはショックでした
半世紀も過ぎると建物もすっかり建て替わってるし… そりゃバブルがあったんだから当たり前か
アイツと暮らした「 みどり壮」もないじゃないか︕ あれぇ…
そんな中で生き残っている会社やお店は立派ですね
生き残ることこそが大切で、それは世の中や想い入れがある人の心を
豊かにするんだと改めて感じました。僕も頑張らないと…
続きは、次号で必ず