いろんな方と出会えたお陰で、僕は生きています。生かされています
子供の頃の僕は、ヤンチャで(イヤイヤ、今も変わらんぞと外野席の声)
桐井君とは遊んではいけませんと、通達が出ていました。
そんな時でも、やさしく接していただいた方がいます。名は、出口ツ子さん。
「こらー、こうちゃん、あんたはもう…」とお叱りは受けるのですが、
ニコニコ笑いながら大切にしてもらいました。こんな方は、どこにもいませんでした。
僕、大好きでね。もう一度、叱ってほしいですね。
子供たちは、少し離れた場所にいるので、緊急時は僕に電話してと
キッチンに携帯番号をデカデカと貼ってありましたが、一度も電話は鳴らずず急逝されました。無念です
そうそう、娘が同級生でハツ子と言います。
ツ子さんの初めての子なので「ハ」を自分の名前に足しただけですよね。
なんて簡単な命名だと笑いません︖そんな豪快で明るく、元気なオバサンでした。
で、この方のご主人が三生さん。工務店の社長さんです。
若い頃、たびたび電話がかかってきて
「ご飯食べにおいな」と誘ってくれるんです。「はい、ただいま参上」
速攻でお邪魔してました。
そんなこんなで、お世話になりっぱなし、甘えっぱなしでしたが、
若くして死去されたんです。僕が30歳の頃です。
最後のお見舞いにお伺いした時に、
「なあ、桐井君。男はな、施しを受けて喜んでいるようじゃ一人前やない。
人に施して喜ぶ顔を見て喜ぶような男になれよ。あんたなら大丈夫」
この言葉は、感銘を受けました。
長い人生になりますが、僕の中では人生の道しるべになっています。
お二人に、感謝の気持ちを、忘れることはありません
![](https://www.webkirii.com/wp-content/uploads/2021/08/ko-blog8-cut1.jpg)
自分の母を恩人と言うのも変ですが、母はクリスチャンでした。
生きていると、想定外の現実もやってきます。
今や、想定外を想定内にと考えているくらいです。
母の口癖がありました。
「あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。
むしろ、耐えられるように、
試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。」
と聖書に書いてあると言います。
ホントかよ。。もう耐えれんよなどと言おうもんなら、気の強い母ですから、
「男のくせに弱音を吐くな」と怒鳴ります。ワッハッハ、僕は生涯一度も
褒められたことは、なかったのですが
亡くなる直前に病室で、僕に言った事がありました。
「なあ、こうちゃん、あんたはやさしくて弱虫なのはわかってた。
だから、心を鬼にして叱り続けたよ」
うんうん、そうなんや。。大泣きしました。二人で大泣きね。
母の教えが蘇ってきます。亡くして教えの意味を、かみしめています。
その志を背負って頑張ろうと思っています。
♪私は今日まで 生きてみました 時には誰かの 力を借りて 時には誰かに しがみついて 私は今日まで 生きてみました そして今 私は思っています 明日からも こうして生きて行くだろうと 明日からもこうして生きて行くだろうと♪
「今日までそして明日から」By拓郎